ドキュメンタリー(映画)

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『ギフト 僕がきみに残せるもの』映画(一般動画) DMM (エディ・ヴェダー)

アメリカン・フットボールの最高峰、NFL。ニューオーリンズ・セインツのスティーヴ・グリーソンは特別なヒーローだった。ハリケーン“カトリーナ”に襲われたニューオーリンズの災害後初の、市民が待ちに待ったホームゲームでチームを劇的な勝利に導いたからだ。それから5年後。選手生活を終えていたグリーソンは、病院で信じられない宣告を受ける。「あなたはALS(筋萎縮性側索硬化症)です」。そして、同じ頃、妻ミシェルの妊娠がわかった。初めて授かった子供。だが自分は、生きている間に、我が子に会うことができるのだろうか。生まれ来る子のために、自分は何が残せるのだろうか。グリーソンは決めた。まだ見ぬ子どもに贈るために、毎日、ビデオダイアリーを撮り続けると。
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『ザ・メタルイヤーズ』映画(一般動画) DMM (スティーヴン・タイラー)

『ザ・デクライン』から7年、ペネロープ・スフィーリス監督がふたたびロサンゼルスの音楽シーンを切り取った≪西洋文明の衰退≫ドキュメンタリー第2弾。アメリカのハードコア/パンクの核となったLAの暴発間近な瞬間をとらえた前作の時代からロサンゼルスの音楽シーンは様変わりしていた。ド派手な衣装と長髪を振り乱し、金と名声、セックスとドラッグを夢見る若者たち。そこには真面目に音楽に打ち込む連中もいれば、パーティーアニマルと化す面々や挫折して消えていく連中もいる。1988年にロサンゼルスでピークを迎えていた、華美な装飾に彩られた、グラムロックの流れも汲むヘヴィ・メタル=LAメタルが本作のテーマである。当事者たちは70年代末から勃発したパンクロックはディスコに落ちぶれ、80年代の真のロックンロールはヘヴィ・メタルであると主張する。POISONのメンバーは数百万枚のアルバムを売って成功を手にした秘訣を解説、AEROSMITHのスティーヴン・タイラーとジョー・ペリーはドラッグ依存の過去を振り返り、成功を信じてデトロイトからLAに進出してきたバンドSEDUCEは希望に胸を膨らまして、若者たちはヘヴィ・メタルで如何にモテるかを語る。スフィーリス監督はハードコア/パンクとは真逆のイデオロギーのもとに成り立つヘヴィ・メタルシーンを徹底した客観的視点で映像におさめる。公開当時アメリカでは出演ミュージシャンの不満が爆発し物議を醸した。特にあまりにも有名な映画の1シーンとなったW.A.S.P.のクリス・ホームズのインタビュー。母親を隣に豪邸のプールに浮かびながら、冨と名声を得た後の孤独と悲哀、ドラッグとアルコール依存の悲惨さを泥酔状態で語る。映画完成後はクリスは「観るんじゃねぇぞ!」と周囲に吼えた。本作の特異性は、題材であるヘヴィ・メタルを美化することなく、ときに冷徹な視線で描写することだ。鑑賞後メタルファンは感動と失望の両極端な感情を味わった。しかし本作は被写体に擦り寄らないスタンスのためか、<音楽ドキュメンタリー>という世界においては最上級の評価を得ており、現代においても数々の媒体でTOPリストの上位に必ずランクインするという称賛を受けている。製作費は前作の約5倍となる50万ドル。
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『ザ・デクライン』映画(一般動画) DMM

世界中に影響を与え続ける、ロック・ドキュメンタリー映画の最高峰『ザ・デクライン』。ロンドン、ニューヨークで先行していたパンクロックの波が70年代末、カリフォルニアに到達、以後全米の地下世界に爆発的に吹き荒れたアメリカン・ハードコア/パンクのムーブメントの発火点となったロサンゼルスの、その瞬間を切り取った衝撃の記録。監督のペネロープ・スフィーリスはポルノ映画の制作を打診されるもそれを却下、逆に何かが弾けようとしていた異様な現場を活写した。アメリカン・ハードコアの巨人BLACK FLAGが怪物と化す前の様子、破滅と退廃の象徴GERMSのダービー・クラッシュが自殺を図る直前(1980年12月7日、自殺)の姿。若者たちはメインストリームに中指を立て、警察を憎み、趣くままの服装とヘアスタイルで、異質・異端であることを恐れず、マイノリティであることを自覚しながら、おさまりきらない孤独とストレスとアグレッションをライヴで発散させ、ロックスターはくだらないと蔑視する。本作はそんなLAの地下世界のカオスをX、GERMS、BLACK FLAG、CIRCLE JERKS、ALICE BAG BAND、CATHOLIC DISCIPLINE、FEARなどのLAパンクの猛者ともいえるバンドたちの暴力と堕落と怒り渦巻くライヴとともに映像におさめた唯一無二のドキュメンタリー映画である。16mm撮影、制作費12万ドル。1981年3月13日、座席数1200のハリウッド・ブルバード・シアターのプレミア上映では、キャパシティを超える3500の観客が殺到、ロサンゼルス市警察は300人の機動隊を派遣した。客を捌ききれず暴動回避のため、深夜2時に急遽追加上映が組まれ、2回ともソールドアウト。警察長ダリル・ゲイツは監督に上映しないよう嘆願書を送付、以後上映できる劇場は現れず、一切のディストリビューションにのることはなかった。
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『ストップ・メイキング・センス』映画(一般動画) DMM

1974年〜1991年にかけて活動したアメリカ・ニューヨークのロックバンド、トーキング・ヘッズの1983年12月の「スピーキング・イン・タンズ」ツアーの模様を収録したコンサート・ドキュメンタリー映画。のちに『羊たちの沈黙』でアカデミー監督賞を受賞することとなるジョナサン・デミ監督が、トーキング・ヘッズの驚異のライヴを観て衝撃を受け、コンサート・フィルムの撮影を熱望して実現した。スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』も手掛けたパブロ・フェロによる考え抜かれたオープニング、一人ラジカセを持って登場、「サイコ・キラー」を演奏するデヴィッド・バーン、そして1曲ごとにバンドメンバーが加わっていき、エネルギーと臨場感に溢れたコンサートが展開していく...。映画評論家のレナード・マルティンは「史上最高のロック映画のひとつだ」、辛口批評で有名なポーリーン・ケイルは「完璧に限りなく近い」と語り、デヴィッド・バーンによる計算され尽くしたライヴのコンセプトと、ジョナサン・デミによる美し過ぎる映像表現により、以後あらゆる媒体、あらゆる年代、時代問わず、「史上最高のコンサート映画」として映画史上に燦然と輝く金字塔的作品となった。日本でも80年代のミニシアター文化の黎明期に驚異的なヒットを記録している。
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『ゴッドファーザー・オブ・ゴア』映画(一般動画) DMM

世界初のスプラッター・ムービー『血の祝祭日』を監督、スプラッタームービーの礎を作り、ホラーファンからは”ゴッドファーザー・オブ・ゴア”と愛される伝説の映画監督ハーシェル・ゴードン・ルイス。スプラッタームービーの誕生日『血の祝祭日』公開から50周年を迎える2013年、彼のドキュメンタリー映画『ゴッドファーザー・オブ・ゴッド』が日本上陸!監督はグラインドハウス・ムービーの申し子と言われ『バスケット・ケース』『ブレインダメージ』など名作ホラー映画を監督したフランク・ヘネンロッター。
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『流線の彼方』映画(一般動画) DMM

史上初?単一車種の長編ドキュメンタリー映画ついに登場!! 日本が世界に誇る、孤高のスーパースポーツカー、トヨタ2000GT。その誕生の秘密、そしてその栄光の軌跡を網羅!! 日本のモータリゼーションの発展途上期において、自社の技術力を国内外にアピールすべく、ヤマハ発動機とトヨタ自動車が協同開発したハンドメイドの高性能スポーツカー、トヨタ2000GT。日本で初めて4バルブDOHC直列6気筒エンジン&4輪ディスクブレーキを搭載し、奇跡的とも言える美しすぎるデザインで、国産車の中で唯一、世界のスーパーカーたちにその存在感で対抗し得る、日本車の最高峰。その栄光に彩られた伝説に迫る映像作品が、ついに長編ドキュメンタリー映画として完成。当時、開発に携わった関係者の最新かつ貴重なインタビューを中心に、当時レースシーンで活躍したレースドライバー、トヨタ2000GTに魅了された人々の証言とともに当時の記録映像、ニュースフッテージ、スチールを交えて構成。数々の国際記録と世界記録を樹立した1966年のスピードトライアルの映像、"耐久のトヨタ"を広く知らしめた数々のレース映像、さらにはシェルビーコブラ、シェルビーマスタングなどの名車を生み出し、国際モータースポーツの殿堂入りも果たした伝説のドライバー&デザイナー、キャロル・シェルビーが率いたアメリカSCCAレースの貴重な映像など、クルマファン垂涎の映像を多数収録。発売当時の1967年の販売価格は238万円(現代に換算すれば2000万円以上!)、生産終了となった1970年までの間にわずか337台しか世に出なかった憧れの孤高のスーパースポーツカーの軌跡がいまついに明かされる!またこの記念すべき作品の音楽を、80年代にネオGSムーブメントを牽引した伝説のバンド、ザ・ファントムギフトのサリー久保田が担当。そのオリジナル音楽の演奏はサリー久保田とともにナポレオン山岸とチャーリー森田のザ・ファントムギフトのメンバーが参加。このメンバーでのレコーディングは、惜しくもバンドが活動停止して以来、実に20年ぶりのこととなった。
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『スカイラインGT−Rドキュメンタリー』映画(一般動画) DMM

日本を代表する名車、日産スカイラインの3代目(通称ハコスカ)の最上級グレード゛車種として1969年に登場以来、国内最高の走行性能を誇るクルマとして君臨し続けたスカイラインGT−R。初登場から40年を経過した現代でも日産GT−Rとして日本最速はもちろん、世界最速の領域にまで達しつつある日本が世界に誇る名車です。本作はそのGT−Rの歴史を開発者、レースドライバーのインタビュー、貴重なアーカイヴ映像の数々、スチールなどを交えて描くドキュメンタリー映画。スカイラインGT−Rは、ファミリーカーとして存在する基準車をベースに製作されているがゆえに、海外の高級スーパースポーツカーへの憧れとは少し違った、憧れではあるけれどとても身近な存在でもあるという、絶妙な立ち位置にあったクルマであり、身近なファミリーカーであるにもかかわらず海外のスポーツカーにも対抗し得る性能を備えていたという点で、クルマという概念を超えて日本人の心に深く刻まれた存在です。
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『リル・ウェイン ザ・カーター』映画(一般動画) DMM

中毒性の高い声と攻撃的な歌詞、類稀なラップスキルと個性的なキャラクターで絶大な人気を誇るリル・ウェイン。100万枚を越える初週売上げを記録し、全米アルバム・チャートNO.1を獲得、累計380万枚を売り上げた最大のヒット作 「カーターIII」リリース前後のリル・ウェインに密着取材したドキュメンタリー。無許可で自身の楽曲を使用し、スキャンダラスな描写の映像が使われたとしてリル・ウェイン本人が訴訟を起こすも、制作者のクインシー・ジョーンズ3世は正規の手続きを踏んでいると敗訴となった後、サンダンス映画祭でプレミア上映された衝撃の問題作!
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『N.W.A & EAZY−E:キングス・オブ・コンプトン』映画(一般動画) DMM (ドクター・ドレー)

イージー・E、アイス・キューブ、ドクター・ドレーらによって結成された、ギャングスタ・ラップの草分け的存在として知られる米西海岸の伝説的ヒップホップ・グループN.W.A.のドキュメンタリー。カリフォルニア州コンプトンで生まれ育ち、N.W.A.を結成。成功までの道のりと、実質的解散に至るまでの全貌、イージー・Eの波乱万丈の短い生涯を、N.W.A.のメンバーや、元メンバーのアラビアン・プリンス、マネージャーのジェリー・ヘラー、脱退後のドクター・ドレーとデス・ロウ・レコードを立ち上げるシュグ・ナイト、そしてイージー・Eとドクター・ドレーをつないだ日系人のスティーヴ・ヤノなど、関係者の貴重な証言とともに紐解いていく!
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『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』映画(一般動画) DMM

少女たちの言葉を通じて「人は生まれ変われる」ことを描く 密着取材で初めて明かされる幼少時代、オーディションを受けた本当の理由、秘密の場所と時間。さらに彼女たちに寄り添ってきた母親から明かされる真実。インタビューを重ねながら振り返る、メンバーそれぞれが背負ってきたつらい思い出や知られたくなかった過去の数々。 ある者は学校での疎外感から逃げるように乃木坂46 に入ってきた。ある者は自分が大嫌いで、半ば自暴自棄のようにオーディションに応募した。 「違う自分になりたかった」 彼女たちの人生は、合格した瞬間から大きく動き出していく——。そこに待っていたのは、まぶしい光と陰の新しい世界、そして同じように“孤独”と戦っていた新しい仲間たちだった。